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ギャラリー&インテリア 美卯 〜つれづれに〜

高山・日下部民藝館2

[ 2017-10-05 17:01 ]

 中秋の名月から明けた今朝はいきなり冷え込んだ尾張一宮から、美卯オーナーです。

 さて、明治12年(1879年)に建てられた日下部邸が現在の日下部民藝館になった経緯はどのようなものだったのでしょうか?

現当主・日下部 勝氏によると十一代目日下部禮一氏が民藝運動に共鳴し、また、雑誌「暮らしの手帖』編集長だった花森安治の薦めもあって自邸を改装、昭和41年(1966年)5月に日下部民藝館として開館、一般公開されました。
また日下部邸は同年に明治に建てられた民家としては初の国指定重要文化財に指定されています。
日下部民藝館の開館式には濱田庄司氏、バーナード=リーチ氏も来訪。

写真(上)は母屋から土間と中庭を挟んだ奥にある文庫蔵ですが、現在は展示場として民藝の名品を見ることができます。


写真(下)は日下部邸の中庭です。
今回の民藝夏期学校校長をされた日下部洋子さんに庭の見どころをご紹介いただきました。
その中に愛知県人としては見逃せない愛知県産の古タイルを発見!明治の手仕事でつくられたタイルは必見です。
某タイルメーカーの社史か何かの資料で見たことのあったタイルの実物を見ることができたので場所が場所でしたが吃驚感激☺
日下部民藝館にお出掛けの際は探して見て下さいネ♡

ピーターラビット展

[ 2017-10-04 16:36 ]

「あいにきたよ。」とピーターが言うので、逢いに行ってきました美卯オーナーです。

現在、名古屋市博物館で開催中(11月5日まで)の『ピーターラビット展』へ。
作者のビアトリックス・ポター生誕150年を記念した原画展です。

 ピーターラビットの物語は作者が病になった恩人の子どもを慰めるために書き始めた絵本がその原点だとかで、はじめはどこの出版社も見向きもせずモノクロの自費出版からその活動ははじまります。

ビックリしたのは描かれた挿絵はどれも私の想像よりとても小さかったこと―。
ポターは出版するにあたって本のサイズを掌にのるサイズにしたのだそうです。
ですから当時の印刷技術では縮小はできなかったからか挿絵は葉書に描かれるような大きさで、そこに緻密な描写がされています。

ピーターラビットの初版は素描に近いモノクロですが、とても好評でその後出版社からカラー版が出版され大成功を納めます。
私は見慣れているせいかピーターのフワフワの毛の質感を感じさせ、また美しい田園風景の描写やインテリアなどカラー版がやはりいいですが、モノクロ版はポターの画家としてのテクニックの確かさを感じさせてくれます。

ポターの育った時代は博物学ブームともいえる時代で彼女も兄弟と一緒に動物の骨格を実験から学んでおり、そのお蔭で直立歩行する動物たちの姿には無理がないと解説にありました。

会場は美術館だけに照明が暗く、作品もコンパクトでしたから老眼の私は眼鏡をつけたり外したりの忙しい鑑賞スタイルになりましたが、じっくりピーターたちと遊んで来ましたよ☺

ピーターラビット・シリーズの舞台になったイギリスの湖水地方はポターの遺志に沿い、今も描かれたままの姿を残しているといいます。
今度はいつか私がその地までピーターたちに会いに行きたいですね♡


#ピーターラビット展

飛騨の伝統・祝い唄

[ 2017-09-24 13:52 ]


 今年の夏開かれた民藝夏期学校・高山会場のテーマは「飛騨高山の手仕事」。
飛騨のモノづくりの伝統と“心”に触れる旅になりました。

高山市は現在の人口は9万人。平成市町村合併により何と!面積では日本一になったといいます。
日本の小京都のひとつであり、1300年にわたる飛騨の匠の伝統を今なお守り続ける街です。

夏期学校は街の核のひとつでもある飛騨櫻山八幡宮への厳かな参拝からは始まりました。
そして先に掲載した公開講演の後に、同櫻山八幡宮内にて飛騨伝統の宴会を体験することにー。

一番の特色としては、飛騨地方においては古来より宴席の乾杯の後に『めでた』と呼ばれる祝い唄を皆で唱和します。
この唱和が終わるまでは席を立ってはいけないという習わしで、このめでたの後は無礼講となりました。

写真はちょっと不鮮明ですが、めでたの節回しや息継ぎを表したものです。

録音してきたのですが、ブログに掲載できる大きさではないので、美卯のフェイスブックページに掲載しておきますのでよろしければそちらの方でご覧ください。

この『めでた』はとても圧巻で、飛騨の地に暮らす方々の伝統と匠としての誇りに溢れる力強い歌声でした。

「祝い唄」とは民謡の一種であり、古来より人々が何か行動を起こす時にその成功と過程における安全を神々に祈願したり、感謝する際に捧げる唄でした。
日本各地でもかつては祝い事の度にそれぞれの特色ある祝い唄が唱和されていたはずですが、現代ではなかなか聴く機会はほとんどなくなってきています。

古の匠たちが仕事に取り掛かる時と、出来上がった時に唱和していたのであろうことを想像しながら私もモノづくりと深い関りのあるこの『めでた』をとても新鮮な気持ちで聴かせて頂きました。

民藝夏期学校「民藝の考え方とその社会的役割について」3

[ 2017-09-21 15:34 ]

 暑さ寒さも彼岸まで、朝晩の気温差にご注意ください、美卯オーナーです。

 民藝夏期学校・高山会場公開講演の続きです。

 モノづくりにおいて現代では特にアートの世界では著作権の問題やらでしばしば世間を騒がせています。
工藝においてはこの問題について民藝の先達はどう考えていたのでしょうか?

河井寛次郎は代々の先人たちの模倣の繰り返しによってこそモノづくりの質は向上し、現代があると考えており、他人に真似られるような仕事をしたいと語り、

濱田庄司は真似るのであれば真似られた品を凌ぐものであればよいと言われたそうです。ですが現実にはそれはとても困難な事であるとも―。
(詳しくは雑誌『民藝』バックナンバー2015年 7月号(751号)を参考に)

 創作、模倣を繰り返し先人から幾世代にも渡って継承され、そのなかで美的に、技術的に発展してきたモノづくりですが、今民藝の社会的役割を改めて考えるならば、民藝の特色を現代的に見つめ直しより議論を深めていく必要があるでしょう。

『美心一如』 『物心一如』

図解・柳宗悦


民藝夏期学校「民藝の考え方とその社会的役割について」2 発見

[ 2017-09-20 16:28 ]

 この夏は天候不順が続いておりましたが秋の味覚の便りに季節の確実な移り変わりを感じています、美卯オーナーです。

民藝夏期学校・高山会場の公開講演の続きです。

民藝といえば『用の美』という言葉を思い浮かべられる方が多いかと思います。
この“用の美”という言葉はいつから使われるようになったのでしょうか?

 この公演の演者である村上豊隆先生が柳宗悦全集を調べても、「用に即した美」、「用美相即」、「用と美」はあってもこの言葉は見当たらないそうです。
今となっては果たして誰がいつ言い始めたのか謎であるとか・・・。

そもそもこの「用」とは何か?
またその意味を深堀していくことは大切であるが、でも民藝を考える時にこの表現のみに拘らないことが良いようです。

 そして最近柳宗悦研究上大きな発見がありました。

柳宗悦は旧東京帝国大学(現東大)・哲学科・心理学教室出身で、その卒業論文は既にこの世に存在しないとされてきました。
が、なんと2014年の岐阜県博物館の企画展準備の中でにおいてそれが見つかったのです。

テーマは 心理学は純粋科学たりえるか(なりうるか) といった内容で、
若き学生であった柳宗悦が西洋の二元性に悩み、日本の思想との融合はできるのか?という問いに取り組んだ論文だそう。
この発見を基とした今後の研究の成果が待たれます。


#民藝夏期学校・高山会場公開講演



民藝夏期学校「民藝の考え方とその社会的役割について」1

[ 2017-09-18 15:58 ]

 台風一過、東海地方はちょっと秋めいたおだやかな敬老の日になりました、美卯オーナーです。

 この8月に行われた今年の民藝夏期学校・高山会場についてのレポートを何回かに分けてお伝えしますが、
今回は日本民藝館学芸員 村上豊隆先生による公開講演についてー。

村上先生は2003年から民藝協会勤務、民藝の研究を重ねられ、雑誌『民藝』の編集実務を担当されています。
今回の講義では新発見もありとても興味深い内容でした。

序章では「民藝の先人たちの想いと日本夏期民藝学校の意味」として夏期学校設立者である倉敷民芸館初代館長でもある外村吉之助先生の意図を聴きました。(昭和48年設立)
民藝夏期学校は以下の目的の基にあると言います。
1.民藝が本当に伝えたかったことは何か
2.実例から学び、モノの何を見るのか、また模倣についてどう考えるか
3.民藝の社会的役割を探る

そして夏期学校の学びの中で外村先生はなぜ日本の手仕事は衰退するのかについて
●問屋制度
●機械生産
●個人主義の台頭
●特に現代的な問題として経済市場主義
を挙げられていたといいます。


さて、今回の講義ではこれから2大びっくりの新しい柳宗悦先生の新発見が飛び出すのですが、それはまた、次回に―。

#平成28年民藝夏期学校高山会場 #公開講演「民藝の考え方とその社会的役割について

カテイトエ・梅津諭さん、和枝さん

[ 2017-09-16 15:05 ]

 ニューリリースさせて頂いたギャラリー&インテリア美卯のホームページはいかがでしょうか?美卯オーナーです。

今回ニューリリースにあたって「ごあいさつ」にはオーナーの顔写真掲載を薦められたのですが、それならば以前から作風が大好きだった画家の【カテイトエ】梅津諭さん、和枝さんご夫妻に描いて頂こうと思い立ちました。

梅津さんたちは最近まで美卯のご近所にお住まいで、杜の宮市(一宮市)をはじめとして各地のイベント会場で似顔絵を描かれたり、絵画教室をされていました。

独特のやさしい人の表情とタッチ、色彩には見る人の心を打ち、癒してくれます。
その素敵な画風に魅かれたお客様でいつもイベントでは描いてもらための順番待ちの列が長く伸びています。

家族の肖像がお得意で描かれる人それぞれのお人柄が笑顔と共に見る人にじんわりと伝わってきます。

昨年の杜の宮市のポスターは梅津さんによるもので、その前年の杜の宮市の風景をバックに大勢のスタッフや参加者たちの笑顔の曼荼羅になっていてすごく楽しくて見応えのある作品でした。

写真は今回描いて頂いた絵のフルサイズです。私の都合でなかなかタイミングがあわず、岐阜・柳ケ瀬のイベント会場でとうとう描いていただいた時は本当にうれしかった!!!(モデルがこんなんで済みませんが・・・^^;)

こんなに良く描いて頂いてご夫妻には心より感謝!ありがとうございました!!!

梅津さんご夫妻は今年、新たなる活動の場として新潟県糸魚川市へ移住され、素敵な古民家暮らしをはじめられました。
この古民家を拠点にカテイトエの活動の幅をどんどん広げられ、また、愛知と糸魚川との交流を進めながら新しい良いモノを生み出していきたいとのこと。

これからのご活躍に一ファンとしてワクワク応援したいと思います。
加えて古民家好きとしてもいつか糸魚川の“お宅拝見”させていただきたいですね☺


参加イベントなどお問い合わせは
カテイトエ
https://kateitoe.shopinfo.jp/

ホームページ・ニューリリースのお知らせ

[ 2017-09-14 15:48 ]

 ギャラリー&インテリア美卯をご愛顧頂きありがとうございます。
美卯オーナーの松原です。

 既にご覧になっている方はご存知ですが、美卯のホームページはこの度ニューリリースさせて頂きました。

旧美卯のホームページを制作した頃はまだスマートフォンは世に出ておらず、世の中の変化のスピードの速さには想像を超えるものがあります。

 この度は旧ホームページの経験を活かしつつ、スマートフォンといった最新のモバイルにも対応した、よりお客様にご利用して頂き易いことをテーマに有限会社ピーシースタイルさんに製作して頂きました。

ピーシースタイル・齋藤社長にはデジタル音痴な私に付き合って根気よく要望を聴き、製作して頂き心より感謝いたします。
(社長~、まだしばらくはより良いホームページにすべく、おつきあい下さいね♡)

 そこで皆様にお願いがあります。
美卯のこの新しいホームページをご覧になってご感想やご要望を愛の鞭として遠慮なくお伝えください。
それを参考にお客様にとってより楽しく便利なホームページに育てていきたいと存じます!

そして何よりこれを機にホームページのみならず、ギャラリー&インテリア美卯そのものがより高い次元へ飛躍すべく精進して参ります。
旧来に増して皆様によりご愛顧いただけますよう頑張りますので宜しくお願いいたします。


飛騨の伝承食文化

[ 2017-09-12 14:52 ]

 ちょっとブログはご無沙汰しておりました、美卯オーナーです。

 今年の夏も日本民藝夏期学校へ行ってきました。
私が参加したのは3会場の内の高山会場。飛騨の文化に親しむ旅になりました。

飛騨高山は日本のど真ん中岐阜県の山中にあって冬は長く雪に閉ざされるので
独特の生活の知恵が息づいていますが、まずは食についてご紹介したいと思います。

夏期学校では飛騨民藝協会の皆様が一年も前から検討を重ねた飛騨の伝統食が振る舞われました。

献立は
川魚の山椒煮(甘煮)(鮎)
焼き豆腐と赤丸、昆布の煮物
ころいも
こも豆腐
にたくもじ
なつめの煮物
キュウリと塩烏賊の酒粕和え
わかめと塩烏賊とキュウリの酢の物
大根の梅酢漬、みそ漬

朴葉寿司
あぶらえ汁

と、とても豪華。

料理の監修・指導は永年飛騨の伝統食の研究、継承に尽力されてきた、飛騨女性史研究家・神出加代子先生。
先生の研究の集大成と言えるような素晴らしいおもてなしの御膳でした。

私にとって初めての味覚だったのは「あぶらえ汁」
“あぶらえ”の独特の風味のある温かい季節の汁物でとても美味しかったですよ。

写真を見て頂くとわかるのですが、鮎は背中側が手前になっていますよね。
これは川魚は背中側に脂がのっていて、海魚は腹に脂があるそうで、ご馳走である脂身をお客様に向けるというおもてなしの作法なんだそうです。知らなくてちょっとびっくりしました。

飛騨ではご馳走の事を「ごっつぉ」というそうですが、正にごっつぉを堪能させていただいて感謝です。

起宿・旧湊屋文右衛門邸

[ 2017-08-03 14:38 ]

美卯のぶらぶら街歩きー



市内だからいつでも行けると思うと却って行けないもので、先日やっと江戸時代に建てられたという旧湊屋文右衛門邸にお邪魔してきました。

美濃路は起宿にあるこの邸宅は地域の建造物がほぼ全壊した126年前の濃尾震災を耐えて現存する貴重な古民家です。平成22年には文化庁登録有形文化財に指定されています。

木曽川の堤防の上に建てられており、立派な造りから起宿が美濃路の重要な宿場であったことと、往時の町の隆盛を今に伝えてくれます。



陸路江戸⇆京を行き来するためには起宿から渡船もしくは舟を数百隻繋いだ船橋を対岸の美濃まで渡ることになります。
この定渡船場が湊屋邸の直ぐ側にありました。

湊屋は渡し船の管理から年貢米の輸送、水運を活かした縞木綿の仲買商などしていたとか。



江戸時代には参勤交代の大名、朝鮮通信士をはじめ、人、モノの盛んな交流と水運で栄えた起宿。

湊屋文右衛門邸の広く開け放たれた居間にいると時が止まって、当時の人々の気配が感じられるようでした。(オバケという意味ではなくて!ですよ〜☺️)



現在お邸はNPO「湊屋倶楽部」が管理運営。
水曜日と週末に「茶店湊屋」としてカフェになっています。ゆったり時を忘れて過ごせますよ?



 

 

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