左義長(どんど焼)
[ 2019-01-16 00:05 ]
1月15日小正月。
地元・真清田神社のどんど焼へ正月飾りを持って行ってきました。
持って行った飾りやお札などを納めると神社に飾られていたお餅を切り分けた
小袋を授けて頂けます。
そのお餅を竿の先に付けた鉄篭にいれて焼いて食べて無病息災願います。
大勢の人が次から次に水ならぬ炎に向かって竿を垂らす姿は釣りのようであってそうであらずでなかなかユニークな風景だな―と毎年思います。
自分も餅焼きに挑戦してみましたが、火力が強くアッという間に真っ黒焦げに^^;
今年はさほど寒くもなくお天気もまあまあで穏やかで朗らかな時間が流れていました。
これでお正月の行事も済み、本格的に2019年の日常がはじまりますね。
2019年もよろしくお願いいたします
[ 2019-01-14 16:22 ]
はやくも新年になってから半月近くになりました。
ご挨拶遅れました、美卯オーナーです。
今年も元日に真清田神社へ初詣に。
本年は美卯にとっても大きな展開を予定しております。
正式に公表出来るまで、今しばらくお待ちください。
ギャラリー&インテリア美卯をよろしくお願い致します。
倉敷で宿をお探しならー
[ 2018-12-09 17:04 ]
寒くなりましたね―。数日前から比べると10℃以上もの気温の急降下に“こたつ猫”になりたい美卯オーナーです。
さて、今日ご紹介したいのは築100年の古民家を改装して作られた「滔々 倉敷町家の宿」。
倉敷の大原美術館すぐ南側にあって、歴史美観地区に隣接しているので観光にとても便利です。
こちらは倉敷で30余年にわたって多くの方々に愛された「クラフト&ギャラリー幹」さんから引き継がれた建物をギャラリーと宿泊施設として新たに今年、平成30年6月から開業されました。
改装にあたって「宿で過ごす時間が、快適で心からくつろぐことのできるものとなることを願い、豪奢ではないが良質であること、人の意図や配慮が感じられること、年月を重ねるごとに趣をましていく素材を用いることをコンセプトに、細部にまでこだわり仕上げていきました。」とのことで、木の香りを感じながら心地よく過ごせそうな古民家です。
置かれている道具や調度品もこだわりの手仕事によるモノで、宿で使ってみて気に入ったらギャラリー滔々で購入もできるそうです。
一日一組限定。宿泊人数は2名~5名。素泊まり。食事は、界隈にある郷土料理や地酒をたのしめる場所をご案内とのこと。
キッチンと調理器具、レンジ、食器が備え付けられているので、街で購入した民芸品を早速使って宿で仲間と楽しく旅を満喫できそうです。
滔々のマネージャーである、ファースト 理恵さんにこのお宿とギャラリーを案内して頂きましたが、ここには泊まるというより住んでみたくなるほど心地よい空気が流れていました。
もし友人たちと連れ立って倉敷を再訪するなら絶対泊まってみたい古民家の宿です☺
詳しくは↓
https://toutou-kurashiki.jp/stay1/
路線バスで行く「起街道プチ漫遊」
[ 2018-12-03 16:34 ]
ちょっとご無沙汰しておりました、美卯オーナーです。実はまだ9月の倉敷フォーラムについてまだ書き切っていないのですが、
今日は先日地元FMコミュニティラジオ・iWAVEに出演して私が取材、
ご紹介させて頂いた路線バスを使ったわが街のプチ旅を再掲します。
ちょっとお出掛けのご参考に、また地域外の方には江戸時代東海道の要でも
あった起街道と起宿地区を知っていただく契機になればと思います。
こんばんは。この頃は朝晩冷え込んで街の風景も初冬の佇まいになってきましたね。ただ本格的に寒くなる前にもうちょっと街を楽しもうと今日は「路線バスで巡る起街道」というテーマでお話したいと思います。
今回取り上げるのは一宮駅バスセンターから駅の西側、八幡通りを経て起街道を走る名鉄バスの起線です。
ちょっと脱線ですが、昔この路線を電車が走っていたのはご存じですか?
実は私はちょっと・・・乗り鉄なので調べた所、この起街道には大正13年から、昭和28年に廃線になるまで単線の電車が通っていたそうです。今西松屋になっている所に車庫があったのですが、行ってみても往時の痕跡は見られずに鉄オタとしてはちょっと残念なのですが・・・。
さて話が脱線しましたが、本題に戻って、いよいよ起街道の面白い所を巡るバス旅始めたいと思います。
では、まずバスの旅を始める前に用意して頂きたいモノがあります。
それは名鉄バスの一日乗車券「一宮おでかけバス手形」!!!まずこれを購入して下さい。
何度も乗降りしてあちこち巡るのでこれは便利です。しかも断然お安くてお得。
ただ降車時間が決められていて平日は10時~16時、土日は終日OKです。市内のバス全てが乗り降り自由で、
料金は中学生以上600円、小学生300円です。一宮バスターミナルか車内でも購入出来るそうです。
このバス手形をゲットしたら一宮駅バスセンターから起行きに乗車、出発です。
ゆらゆらとバスに揺られて15分ほど、最初にご紹介する篭屋バス停留所に到着します。
ここの見どころは、のこぎり二という旧平松毛織物株式会社の織物工場であった5棟連なった大きなノコギリ屋根工場です。
一宮あたりでは喫茶店以上に良く見かけるのこぎりやね工場ですが、数でいったら日本一だという事が近年わかってきました。以前一番と豪語していた群馬県の桐生市よりもはるかに多い事が判明したんですが、余りにも多くていろんな団体が調べてはいるのですが未だに正確な数は判らないそうです。(推計2500棟、桐生の10倍?)しかも老朽化で最近どんどん取り壊しが進んで少なくなってきています。
ノコギリ屋根工場の現状はこういった所ですが、今回訪ねたのこぎり二では使われなくなった工場にもう一度光を当てその歴史と意義を考えようとワークショップを行う一方、その利活用として現在、アート作品の展示場や演奏会の開かれるホールとアトリエとして作品の製作現場として公開されています。また最近ではションヘル織機が3台保管されるなど、かつての織物工場だったアイデンティティを大切にしつつ、元気な地域づくりに活用されています。また敷地内にはノコギリ屋根倉庫をおしゃれに改装したユタカフェがあってランチや手作りのお菓子が評判になっているんですよ。
そこでビッグニュース!
こうした活動が評価されて、この度ここ「のこぎり二」さんが国際なかなか遺産委員会から「なかなか遺産」として認定されることになり、その認定式典がのこ二で開催されることになりました。今日は国際なかなか遺産委員会についての説明は時間の関係上割愛させて頂きますが、
式典日時は12月15日(土)13時~15時 認証式とその意義について、東大の先生から講演があり、その後ノコギリ屋根の折り紙教室があります。ご興味のある方どなたでも参加できるので、詳しくは篭屋四丁目11-3 平松毛織株式会社までお問い合わせ下さい。
ノコギリ屋根を見学したら先ほど降りた停留所から再びバスに乗車して次の目的地へ向かいます。篭屋バス停から6つ先の起工高・三岸美術館前で降りてしばし美術館で三岸節子先生の作品や特別展の鑑賞を楽しんで下さい。
さて、ここまで来るとちょっと小腹がすいたのではないかと思います☺
なので次の新栄町までひとつ乗車して降りて、尾西起郵便局の反対側の路地の中にある昔懐かしの駄菓子屋「大野屋」でお好み焼きや焼きそば、おでんを買い食いするのはどうでしょう☺
、、、駄菓子屋って好きですか?気分は子供の頃にタイムスリップしますよね。
そして大野屋さんのさらに奥の方には旧田内織布さんが所有する立派な古民家があります。
ここでは古民家や蔵を活かした様々な展示やイベントが随時行われているのですが、とても立派なお座敷や茶室とか大胆な大きさの灯篭が庭にあって、昭和13年頃の起の街の隆盛ぶりがわかる豪勢さなので機会があったらこちらも是非訪ねてみて下さい。。最新の情報ではちょっと先になりますが、来年の2月11日(祝)にライブとマーケット・展示が開催される予定です。
さてさてバスの旅はさらに続き新栄町バス停から更に先に進みますが、ここからバスに乗る時は注意です。この路線には実質終点がない!のです。一宮駅発起行のバスの終着点は実際は一宮駅に戻る形になっていて、尾張中島バス停からバスの路線は循環バスのように走っています。ですからバスの進行方向は変わりないのに、この辺りから車両の先頭にある行先表示が起から一宮駅行に代わっているので、初めてこのバス路線に乗る人はびっくりするかと思います。私もびっくりした一人です。
更に進んで新栄町から一駅、いよいよルート上一番西にある起停留所に到着です。
停留所の近くに尾西歴史民俗資料館と別館の旧林家住宅があって中を見学できます。
資料館ではかつて街道の要衝であった起の歴史的重要性が学べ、また隣にある旧林家住宅は脇本陣の流れを汲む国登録有形文化財で、江戸時代の伝統的な町屋建築様式を現代に伝えています。(写真)
ここには四季折々の木々がとてもきれいな庭があって和室から眺めて何時間でものんびりゆったり過ごしたくなります。特に新緑や紅葉の時期はインスタ映えすると思いますよ☺
こうして旧林家住宅でまったり過ごした後は起バス停から再び乗車、バスは坂を木曽川の堤防へ向かって登っていきます。
、、、そして登り切った瞬間!!!
視野がいきなり一気に開けて広がる木曽川や養老山脈が一望できます。
これがハッと息をのむ美しさ。バスは視点が高いので周りがよく見えるんですね。
特に夕日が素晴らしいのでその時刻を狙ってバスに乗るのをお勧めします。
バスはこの堤防からループして濃尾大橋の手前で一宮駅の方角へ戻る様に大垣線に入って行きます。
次に降りるのは濃尾大橋口停留所。ここからは湊屋(旧湊屋文右衛門邸)への最寄りの停留所になります。
湊屋は船を使った物流を生業としていた商家の建物だったのですが、明治24年の濃尾地震ではこの辺り、起宿の家屋がほぼ全滅する中で残った数少ない貴重な日本建築です。現在では週に三日ほどカフェとして公開されていますが、玄関を入ってすぐに広い座敷があるなど当時の商いの隆盛ぶりが偲ばれるようです。様々な人々が行き交ったのでしょうね。
このすぐ近くには愛知県指定史跡の起渡船場、つまり起から木曽川を渡る船の乗り場の跡があって、常夜灯が残っています。
さてさて、バスに戻っていよいよ旅は最後の途中下車、みずほ興業前で降車します。
ここから少々歩きますが小信中島公民館・墨会館へ行きましょう。
この墨会館は愛知県下唯一の建築家・丹下健三の設計の建物です。
1957年竣工。こちらも国の指定文化財です。艶金興業株式会社の本社として建築されました。この建物は丹下健三が国立代々木競技場の設計で名をはせる以前の建物で、初期の作品として評価があるようです。
中庭を挟んで事務棟とホールに分かれていますが、このホールが近未来的な特徴のある造りになっているので一見の価値がありです。信じられないくらい素敵なホールなので私としてはもっと活用が進むことを期待したいですね。
以上バスで巡る起街道の旅、駆け足でご紹介しましたがいかがでしょうか?
ちょっと盛り込み過ぎで一日で廻りきらないかもですが、気軽に行けるプチ旅行としておすすめします。
またこの行程なら自転車で廻るのもいいかもしれません。
自転車といえば、3年前の11月に「ツイードラン尾州」というクラシックなツイード生地の服をドレスコードとした自転車のサイクリングイベントがありました。今回ご紹介した起地区を含む尾州織物に関連する場所を巡ったそうです。その時の様子を写真家・末松グニエ文さんが記録した写真展が12月に開かれるのでその情報もお伝えします。
「ツイードラン尾州一宮・犬山写真展」12月21日(金)~23日(日)場所 オリナス一宮 入場無料
本町商店街の中にあるので、ここではさらに手軽に旅気分が味わうことができるのではないでしょうか?☺
今日は身近なバスの旅をご紹介しました。遠くへ旅するのもいいのですが、ご近所にも意外な発見があるかもしれません。思いついたらパッといけるこんな路線バスの旅へ是非お出掛け下さい。
アカシアの小椅子
[ 2018-11-04 16:42 ]
気まぐれな冷たい秋の雨そぼふる日曜日、いかがおすごしですか?美卯オーナーです。さて、この写真の椅子は倉敷本染手織研究所にあるアカシアの小椅子です。
アカシアの椅子は松本民芸家具の創業者池田三四郎氏が松本の周辺で大量に伐採されていたニセアカシアの間伐材の利用方法として思いついた木製家具です。
私は話には聴いていたのですが、実物を見たのは倉敷の研究所が初めてで、教えて頂くまで気が付きませんでした(^^ゞ
ニセアカシアの間伐材を加工しラッカーで塗装してやや赤みを帯びたこの家具は発表当時とても好評をはくしたそうです。
ですが、諸所の事情から作られたのはごく短い期間であり、貴重なものを研究所で見せて頂きました。
この小椅子についての経緯は久野恵一氏著『日本の手仕事をつなぐ旅 <いろいろ①>グラフィック社に詳しく述べられています。
平成の現代ならいざ知らず環境問題が今ほど注目されていなかった昭和後期にいち早く間伐材の利用に目を向け、
「間伐材を活かすのも民藝の木工の道だぞ」と語った池田三四郎会長の先見の明に改めてすごい方だったのだと頭が下がります。生前お会いした機会にもっといろいろ教えを乞うておけばよかったと今更ながらにとても後悔しています。
倉敷本染手織研究所
[ 2018-11-02 22:30 ]
11月になりました。今年はいつもより時間が早く過ぎているような気がします、美卯オーナーです。9月の倉敷フォーラムから早2か月、今もまだその余韻が強く残っています。
とりわけ外村吉之介先生の創設された倉敷本染手織研究所を訪ねることができ感謝です。
倉敷本染手織研究所は昭和28年に美しいものを日本中に広めるために作られ、今日まで65年の間に約400名の織り手を育てています。
外村先生は海外や日本中を巡り「母が子供のために作ったものが一番美しい」という考えに至りました。
ですから研究所では売り物を作る職人の養成を目的とせず、当時は女性は結婚して母になることがことが当たり前とされた時代でもあり、将来それぞれの家庭で家族のために美しいものをつくる担い手として未婚の女性を全国から募り糸紡ぎから手織、本染まで教授しました。
さて倉敷本染手織研究所の「本染」とは?と思われた方もいるかもしれません。
本染について当研究所主任の石上梨影子先生によると、
「本染」とは(近代に)化学染料が登場したことでそれまで伝統的に使われてきた植物や鉱物その他の天然染料を用いた染め物を区別して呼ぶために生まれた言葉だそうです。
また「草木染」というジャンルもあるが、外村先生はこれを趣味的と嫌ったといいます。草木染めは身の回りにある植物のほとんど何からでもなんらかの色が出るが、中には堅牢度に難があるものも含まれているからだそうです。
外村先生は昔から染料として使われてきた堅牢度に実績のある先人たちの選びぬいた天然染料を用いる「本染』に拘ったのだそう。
外村先生に限らず民藝の先人には日常の道具であるからこそ作られたものの堅牢さ、つまり耐久性に拘ったという話をよく耳にします。
天然染料の中で一番の基本になるのが藍染ですが、今日でも研究生が卒業して各自の地元へ帰った時に自分で藍を染められるようにと毎年新しい藍をたてて実習を行っているそうです。
近年は織物の用途が衣類からインテリアの敷物などにと変化しつつあるといいますが、美しいものを日本中の家庭に広めたいという外村先生の伝道の精神は今も脈々と倉敷本染手織研究所はじめその卒業生たちによって受け継がれています。
文系から学ぶ防災
[ 2018-10-28 01:19 ]
天高く馬肥ゆる秋~、、、ですが名古屋の老舗ハーブスのケーキ(大きくて有名)を3分の1残すという、人生の秋を感じた美卯オーナーです。さて、今年も残すところ早くも!2か月余りになりました。凄く短い1年に感じます。
災害が多かったせいでしょうか?様々な情報を見直しても台風の大型化による風水害、そして環太平洋地域の地震の多さが目立ちます。
そこでご紹介したいのが、磯田道史著『天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災』という本です。
私はこの本を読むまで防災に古文書が役に立つという認識が全くありませんでした。
磯田先生はワイドショーなどに出演しているので見知っている方も多いかと思いますが、この方がこれほど古文書マニアであり、その知識を現代に役に立つように活用しようと並々ならぬ情熱をお持ちだということも知りませんでした。
各地に残る古文書の記述にはいつどこでどのような災害があったか知ることが出来ます。
考えてみれば古事記にも水害を暗喩しているような物語があります。先人たちは後世の人にわかり易く災害を伝えるために物語を創作したのではないでしょうか?
この著書では秀吉の時代以降の古文書の記述を元にどんな災害がどこに起きてどのようなものであったか記載。
特に江戸時代には辺境においても災害の記録が様々に残っていて当時の日本人の教養の高さを感じます。
その記録からは子孫が天災によって同じ苦難に合わないよう警告する先人の思いが垣間見えます。
さて、地震は同じ震源域からある程度周期的に発生するので古文書にある地震・津波の予兆現象、被害の内容、発災時から事態の推移にいたるまで参考にならないものはありません。これら古文書の記録から次の地震の被害を予測することができるのです。つまり古文書は過去の災害情報の宝庫なのです。
磯田先生は東海地震の震源域真近と予想されている静岡県に住み、各地に災害に関する古文書を求めて日本中を巡っています。
また地震と同様に過去に起きた豪雨の土砂災害、溜池の決壊なども地質は変えられないなど自然条件が不変である以上同じところに同じ被害が発生する可能性はかなり高いといえます。古文書の記述を元にどこに災害が起きそうか規模も含め予想できれば対策を事前に立てて減災に役立てることができます。
一人でも多くの住民を守るために古文書は先祖からの大切なメッセージでありその重要性を広く世の中に知って頂きたいと思います。
近年、大学の文系学部は直接的には社会や経済に貢献が少ないから縮小すべきとの議論があります。
しかし理系の科学者にはない文系の知識、教養、この場合は古文書の研究が加わることによってサイエンスだけでは究明できない過去の災害のメカニズムを読み解くことができます。
その古文書を読みこなすためには文系学部で学んだ専門性が必要となるでしょう?
防災減災のための研究は理系と文系の共同によって新しい可能性が開けるのではないかと期待します。
文化教養のみならず実利的な面からも文系学部を守るべきであり、学問の多様性は未来を拓くためになくてはならないものだと考えます。
外村吉之介先生
[ 2018-10-22 17:00 ]
秋の一日はとても短く感じますね、美卯オーナーです。前回のブログでご紹介した外村吉之介先生は知れば知るほど興味深い方です。
まず、私と誕生日が一緒だということ・・・というのはただの偶然ですが(^^ゞ、
外村先生はキリスト教の神学校在学中から日本文学や芸術に関心があり、柳宗悦著『工藝の道』を読んだのをきっかけに柳宗悦先生に直接師事。
そして民藝の実践者となるために本人ははじめ陶芸を志したそうですが、柳先生の薦めで牧師の仕事の傍ら織物をはじめます。
戦前は静岡県掛川の葛布の再興に勤めたり、沖縄の琉球文化の伝統や街並み保存に力を注がれました。外村先生は琉球の織物をはじめその文化に民藝の原点を見、深く影響を受けたと伝えられますが、この部分はこれから深堀できたらいいなと思います。
沖縄はご存じの通り太平洋戦争の激戦地となり多くの人命と共にその貴重な文化のことごとくが失われてしまいました。
その事実を知った時の外村先生の無念はいかばかりだったでしょうか・・・。この沖縄とのかかわりが後年倉敷移住へと繋がったのかもしれないと勝手に想像してしまいます。
なぜなら、、、。戦時中に沖縄から倉敷紡績に挺身隊として動員されていた女子20数名が終戦によりアメリカに占領された沖縄に帰る事ができずに倉敷に取り残されます。その中には芭蕉布という琉球伝統の織物を生業とする家に生まれた平敏子さん(後年人間国宝になられます)がいて沖縄の工芸技術を守るために「沖縄工芸村」を倉敷にという構想が持ち上がります。
その指導者として倉敷へ来ないかと外村先生に声がかかったのですが、失われた沖縄への想いが先生を倉敷へ導いたのではないでしょうか。
昭和21年に倉敷へ移るにあたって外村先生は牧師をやめます。これ以降は伝道活動はせず、昭和28年に自宅に創設した倉敷本染手織研究所は生徒に織物の技術と民芸の心を教えましたが、ここでも布教をすることはなかったといいます。
生徒は住み込みで先生一家と寝食を共にする生活でしたが、食前のお祈りは先生だけがされていたとか―。
戦前は民藝の活動を熱心に取り組みながらも牧師としても活躍されていたのになぜやめてしまったのかとても気になります。
外村先生はじめ民藝の先達が時代の波に翻弄されながらも自らの信念を生ききった姿には学ぶところが余りにも多く興味が尽きません。
倉敷美観地区に学ぶ
[ 2018-10-21 17:20 ]
今日は雲一つない美しい青空の広がる我が街より、美卯オーナーです。心地よい秋の行楽日和の休日、旅心がふつふつとしてきます。
9月に訪れた倉敷の街では様々に学びを深めましたが、その一つが倉敷美観地区の保存についてです。
江戸時代の街並みの景観がほぼそのままの美観地区ですが、現代まで自然に残ってきたわけではありません。
当然明治以降の近代化と戦後の復興再開発の波の中で成り行きに任せていれば日本中で行われた列島改造の中でとうの昔に失われていたことでしょう。
我が街を振り返ってみてもそうですが、身近なものほどその価値を見誤り易いようで後に遺しておけば街のシンボルになったであろう歴史的建造物が既にない事を悔やまれることしばしばです。
倉敷にしても同じ道をたどる可能性があったわけですが、その街に戦後昭和21年に織物の指導者として招かれた外村吉之介が家族と共に移住してきます。
外村先生は民藝の提唱者である柳宗悦師の直弟子であり、キリスト教牧師の仕事の傍ら戦前から沖縄の織物研究や街並み保存に尽力されていました。
そんな外村先生が倉敷の街並みをはじめて眺めた時どんな感想を持たれたのか興味深いところです。
当時ほとんど日本中の市街が戦争で灰燼に帰す中でこの美しい街を見て絶対にこの景観を後世に残さなければならないと思ったのではないでしょうか。また外村先生は“外”からやって来たからこそより深くこの街の貴重さに気付けたのではないでしょうか。
外村先生は倉敷紡績(クラレ)創業家であり大原美術館を設立した大原家の支援の元、岡山県民藝協会を設立、倉敷にある伝統的な建物の保存運動を展開。その活動のお蔭で現在私たちはこの美しい街を観光できるのですが、近年日本各地で起こっている街並み保存運動の原点はここにあるのかもしれません。外村先生をはじめ民藝の先達の先見性に改めて驚かされます。
今日、美観地区は倉敷川河畔のみならず周辺の路地へも整備が進み面としても広がって、街歩きの楽しさも増しています。
倉敷へー
[ 2018-10-13 16:42 ]
朝晩めっきり寒くなりましたね、美卯オーナーです。まだ夏の名残のある9月初旬に倉敷へ民藝を訪ねて来ました。
倉敷は20数年ぶりだったのですが、前回は観光バスツアーのため時間が短くでしっかり廻っていませんでした。
今回は手仕事フォーラムさん主催の全国フォーラムに参加、倉敷にある民芸縁の各所を巡りです。
自宅から倉敷までは鉄道を使って行きましたから、倉敷駅から目的地まで地図を頼りに街を歩き回ることになり、おかげで倉敷の街を立体的に知ることが出来ました。
やはり徒歩であれば街の小さな路地までも隅々まで入って行けるので、新しい発見や出会いがあり愉しめます。
今回は残念なことに雨降りがほとんどでしたが、倉敷のような街は雨が町の風情をより深めてくれるので美しかったですよ(負け惜しみでなく・・・(^^ゞ)
20年前との違いは運河沿いの木がとても大きくなっていたことと、やはり外国人観光客がとても多かったことですか、、、。
でも大原美術館をはじめどっしりと変わらない安定した風景に心癒されるものがありました。
私は勉強不足で余り知らなかったのですが、今回のツアーに参加して倉敷美観地区の現在の在り様は民藝運動によって護られ現代へ受け継がれたという重大な事実を知りました。現代の街づくり研究の視点からも大変興味深い事実です。
民藝の運動家であった先人たちの先見性と叡智には目を瞠るばかりですし、そういった街であるからこそ現代でも倉敷は誇り高く手仕事を守る職人が育つ土壌をもっているのだと思いました。
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